ゆるしの心理学

心理学における「許し(forgiveness)」に関する論文や著作のあらすじとコメントをのっけます。

ゆるしのダークサイド:ゆるすことは攻撃を持続させてしまうのか?

 誰かに傷つけられたにも関わらず、ゆるすのであれば、その後その相手はどのような行動を取ると予測されるのだろうか?

 一つ目の可能性は、相手が罪悪感を覚え、再び傷つけられる確率が低くなるということである。この可能性については、Heider(1958)やBaumeister(Baumeister, Exline, & Sommer, 1998)といった心理学者が言及している。その一方で、ゆるすことでいわば相手が調子にのり、再び傷つけられる確率が高くなるということである。Axelrod(1984)を代表とするゲーム理論をはじめ、多くの心理学者もこの見方を指示している。

 実際のところ、ゆるすことは再被害が生じにくくするものなのか、生じやすくするものなのか。James K. McNultyによる2011年の論文、"The Dark Side of Forgiveness: The Tendency to Forgive Predicts Continued Psychological and Physical Aggressionin Marriage"は、その疑問に答えるヒントを与えてくれるものである。

 

 この論文の中で、McNultyは正反対の二つの心理学的な原理を紹介している。一つは、加害後のゆるしがさらなる加害を防ぐことを説明する互恵性(reciprocity)」の原理である。互恵性の原理とは、相手から何かをされたときに、自分も相手に何かをしてあげたくなるということであり、これに従えば、ゆるすという好意的な行為をされた相手は、自分にも好意的な行為をするはずであると考えることができる。もう一つは、加害後のゆるしはさらなる加害を招くと説明するオペラント条件付けの考え方である。人は良い結果が得られる行動は繰り返し、逆に悪い結果(ないしは結果が得られないこと)を招く行動は減少するというこの考えに従えば、加害によって好ましくない結果が得られない、すなわちゆるすことは繰り返しの加害を招くといえる。

 McNultyはこの二つの原理を並べた上で、婚姻関係において、ゆるしがパートナーからの加害に与える影響について、オペラント条件付けが優先するものであると述べている。互恵性の原理で返報されるのは、加害に関連した行動である必要はないし、また互恵性の原理が生じるのはゆるされて「すぐ」であり、ある程度の期間の後に生じる再被害に与える影響は大きくないであろう。

 こうした仮説の上で、McNultyはカップル双方のゆるしを表明する傾向性と、心理的・身体的攻撃性の関係を、4年間に渡り調査した。その結果、ゆるしを表明する傾向性は初期の心理的・身体的攻撃性と逆相関が見られるものの、ゆるし表明の傾向性が高いと報告した配偶者の心理的・身体的攻撃性の頻度に変化は見られないが、一方でゆるし表明の傾向性が低いと報告した配偶者の心理的・身体的攻撃性の頻度は有意に低下したのである。

 以上から、McNultyは婚姻関係において、ゆるさないことを表明することが、心理的・身体的攻撃性の頻度を減少させる効果があるだろう、と述べるのである。稀に起こるような行動ならともかくも、とりわけ頻繁に起こる行動に対しては、それに安易にゆるしを表明することで、それを持続させてしまう危険性があると、McNultyは警告しているのである。

 

 このMcNultyの論文は、以前から指摘されていた、ゆるしが再被害を生じさせる可能性を増加させる、ということを実際に裏付けた研究であると言える。Lamb(2002)らは、とりわけDVの背後にはゆるしがあるのではないかと論じ、安易にゆるしを促進することの危険性を述べていたのであるが、そのメカニズムに対する一つの説明となるものであろう。そして、たとえゆるしが賞揚されるべき徳だとしても、それは完全に安全で安心な場所が確保されてから、生じるべきと考えることもできるであろう。