ゆるしの心理学

心理学における「許し(forgiveness)」に関する論文や著作のあらすじとコメントをのっけます。

論文:許しの心理学(2)

McCullough, M. E., Pargament K. I., & Thoresen, C. E., (2000). The Psychology of Forgiveness History Conceptual Issues, and Overview. In M. E. McCullough, K. I. Pargament, & C. E. Thoresen(Ed.), Forgiveness: Theory, Research, and Practice. New York: The Guilford Press, pp.1-14.

 

大まかな内容

 明らかに許しの科学的研究は拡がりつつある。しかしながら、個々の研究者の許しの定義はひどく多様なものとなっている。現時点(2000年)で、許しのコンセンサスある定義は存在していないのである。しかし、多くの理論家や研究者たちは、EnrightとCoyle(1998)が、許しは「赦免すること(pardoning)」「免責すること(excusing)」「忘却すること(forgetting)」「否認すること(denying)」とは異なる、ということに同意している。また、許しは「和解(reconcilation)」とも異なるということもまた、同意されている。

 だが、何が許しでないかの同意は取れていても、何が許しであるかの同意は取れていない。たとえば、Enrightらのグループ、McCulloughのグループ、HargraveとSells(1997)らの間の許しの定義を見ると、かなり異なったものであることがわかる。その他にも多くの人によって許しは定義されているが、それらは似ている場所がありつつも、本質的に異なる仕方で定義されている。

 しかし、存在するすべての定義は、一つの中核的な特徴の上に成り立っているように見える。それは、人が許すとき、彼らを傷つけた人に対する反応(言い換えるのであれば、何を考え、何を感じ、何をしたいか、もしくは実際に何をしたのかということ)は、よりポジティブになり、よりネガティブなものが少なくなるということである。そのため、われわれは許しを「特定の対人間のコンテキストに位置付けられる、知覚された加害者への、個人内の向社会的な変化(intraindividual, prosocial change toward a perceived transgressor that is situated within a specific interpersonal context)」と定義することを提案するのである。

 加害された人が許すとき、その許す人は変化する。この意味で、許しは心理的な構成概念である。しかしながら、許しは個人的なものであると同時に対人関係的なものであるという、二重の性格を持つものである。許しは対人間で生じた侵害への反応であり、そして許す人は誰かとの関係において許す必要がある。そのため、それは心理的な現象でありつつも、許しは同時に対人関係的なものなのである。個人内での許しも、その社会的な側面も共に「現実」である。おそらく、最も包括的な考えは、許しは心理社会的な構成概念(a psychosocial construct)であるということである。

 

コメント

 前回の続きで、McCulloughが包括的な許しの定義を提案している場所。許しが心理社会的な構成概念であるということを明示しているという点で、重要な部分であると思います。McCullough自身の許しの見方は、動機付けの変容ということを強調しているのですが、多くの研究の出発点となることができるような定義として「個人内の向社会的な変化」というのを持ってきてます(実はこの箇所の訳は間違っているのかもしれないので、訂正してくれる人をお待ちしております)。この後もこの論文は続くのですが、その後の本の内容であったりするので省略いたします。

 

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