ゆるしの心理学

心理学における「許し(forgiveness)」に関する論文や著作のあらすじとコメントをのっけます。

論文:許し、自尊心、そして憤りの価値

Murphy, J.G. (2005). Forgiveness, Self-Respect, and the Value of Resentment. In E. L. Worthington, Jr(Ed.), Handbook of Forgiveness. London: Routledge, pp.33-40.

 

おおまかな内容

 筆者であるマーフィは、哲学的立場から無条件にそれを良いものであるとした「許しのムーヴメント」に対して警告を発する。とりわけ性急な許しというものは、自己への尊敬、道徳的命令への尊敬、加害者への尊敬、そして許しそのものへの尊敬さえ危機にさらすものである。それは「安価な恵み」となってしまう危機を持つ。

 筆者の哲学的背景は、ジョセフ・バトラーにある。バトラーは、許しを一義的に内的な事柄、心の変化とする。それは、それ自体で感情や情念というよりも、加害された時に自然にわき上がる、復讐の情念の制限や減少としてバトラーは考えていた。その復讐の情念を、バトラーは「憤り(resentment)」と呼んでいる。バトラーは憤りやその他の復讐の情念を、それが神によって人間に授けられた感情であるからとし、正当化することを試みている。その情念は、重要な価値を守るのである。その価値とは自己への尊敬、自己の防衛、そして道徳的命令への尊敬である。そのため憤りの欠如は奴隷的人格を指し示す。それは自身への尊敬を欠き、自由で平等な道徳的存在に付属する権利や状態への尊敬を欠いている。道徳的なコミットメントは、知性におけるコミットメントだけでなく、それは感情との同盟を要請するのである。道徳的な人格は、間違ったことに関する感情と情念に駆り立てるものである。

 復讐の特性は加害者に対してそれ以上傷つけることをやめるように働きかける。セラピストが導く性急な許しが、そこにあるリスクを残したまま、性急な和解へと急いてしまうかもしれない。また憤りは自己への尊敬の側にたつだけではなく、道徳的命令そのもののそばにも立つ。我々は、知的にも感情的にも、何が他者から人間が扱われる上で許容できないかについての明確な理解を持つ義務がある。そしてそれはまた、私たちの加害が何の憤りも起こさないことに関して拒否をしなくてはならない。それは、私が取るに足らない存在であるということを示すものであるからである。

 これらのことは、なぜ謝罪が正当な許しの扉を開くかということを示す。それは加害が示す、人を道具として用いても構わないというメッセージを、誠実な謝罪が覆すからである。多くのクリスチャンは、許しは無条件なものであると考えているが、しかしルカ17章3節はそれに反するものである。憤りの中、復讐の情念の中には、肯定的な要素が存在している。復讐劇は、映画や文学において人々を魅了し続けている。復讐を望む人は対等になること、彼ら自身も加害者と同じような価値と権利を持っていることを主張しようとしている。

 復讐心を抱き続けることは彼ら自身を苦しめることになるというが、二つの点からそこに対して反論が出来る。 一つは、復讐心がその人を害する時はそれが抑圧されている場合のみであるということである。簡単に言って、その恨みが溜まるのを防ぐ方法は二つである。許すかイーブンにするかである。二つ目は、感情それ自体の合理性と、感情が全体的な心理的システムにおいて果たしている役割の合理性を区別しなくてはならないということである。つまりは復讐心が全人格を塗りつぶしてしまうまでは、その感情自体はまだ望ましいものではないとは言えないのではないか。復讐心に支配されてしまうことはまれであり、多くの人は正しい状況までそれを表出する正しい場面までそれを浮かべておくことができる。復讐心は、正気で道徳的な人々の中にも存在しうるものである。

 最後に、筆者はアウシュビッツの中でのある祈りを紹介している。「神の許しは、このような場所を作ったことを許さないでしょう。神の恩寵は、ここで殺されたユダヤ人の子どもを殺した者たちに恩寵を与えることはないでしょう」

 

コメント

 哲学者マーフィーの、Handbook of Forgivenessにおける許しのムーブメントへの警告。許しという現象はポジティブな側面ばかりではないということ。復讐への情念の中にも、自分を守るという大切な価値が存在している。そこに耳を澄ませていかなくてはならない。ジョセフ・バトラーは神学者なんですけど、キリスト教の伝統からuncondititonalな許しだけが提供されているわけではないってのは重要なことだと思います。「安価な恵み(cheap grace)」ってのも、ディートリッヒ・ボンヘッファーの言葉ですしね。

 

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